はじめに
かつて、さつまいもといえば「ホクホク」とした素朴な味わいが主流でした。
しかし、時代は移り変わり、私たちは空前の「第4次焼き芋ブーム」の真っ只中にいます。
このブームを牽引しているのは、まるでデザートのように濃厚な甘さと、うっとりするほど滑らかな「しっとり・ねっとり」系のさつまいもです 。
この新しい時代の流れに乗って現れたのが、今回ご紹介する「シルクスイート」です。
2012年頃に市場に登場して以来、その名の通りの食感と上品な甘さで、またたく間に多くの人々の心を掴みました 。
しかし、その「絹」のような口どけは、一体どのようにして生まれるのでしょうか?
なぜ、他の人気品種とは一線を画す、独特の魅力を持つのでしょうか?
この記事では、シルクスイートの誕生の歴史から、他の人気の品種との違いまで、分かりやすくご説明したいと思います。
「シルクスイート」の魅力
シルクスイートがなぜこれほどまでに人々を魅了するのか。
その秘密は、食感、甘さ、そして収穫後の変化という3つの要素を深く理解することで見えてきます。
【特徴1】唯一無二の絹のようななめらかな食感
シルクスイートを定義づける最大の特徴は、その卓越した食感にあります。
シルクスイートの紹介として「絹のよう」「なめらか」「舌のうえをするんと滑るような独特の食感」といった表現が使われています。
この食感は、高い水分量と、他の品種に比べて繊維質が少ないことによって生み出されています 。
ここで重要なのは、日本の食文化における食感表現の繊細なニュアンスです。
「安納芋」や「紅はるか」の食感は、しばしば「ねっとり」と形容されます。
これは粘度が高く、時に重さを感じるほどの密着感を指します。
対して、シルクスイートに使われる「なめらか」という言葉は、抵抗感がなく、スムーズで洗練された口当たりを示唆します。
「ねっとり」が時に好みが分かれる可能性があるのに対し、「なめらか」は普遍的に好まれる、より上品な食感です。
つまり、シルクスイートは、しっとりとした食感を求める消費者のための選択肢になると思います。
【特徴2】洗練された上品な甘さ
シルクスイートの甘さは、「上品」「後口に残らない品の良い甘さ」と評され、その洗練された質が特徴です。
生の糖度(Brix値)は一般的に8度から9度程度とされ、これは伝統的な品種よりは高いものの、「紅はるか」の生の状態での糖度と比較すると控えめな数値です。
しかし、このBrix値だけで甘さを判断するのは早計です。
一部の資料では、加熱すると糖度が40度近くに達するとも報告されており 、ある食味テストでは、Brix値が高いとされる品種よりも甘く感じられたという感想もあります。
この「Brixのパラドックス」とも言える現象は、いくつかの要因で説明できます。
第一に、Brix値は糖だけでなく、水溶性の固形分全体を測定します。
第二に、さつまいもをゆっくり加熱する過程で、デンプンが麦芽糖(マルトース)などの糖に分解されますが、この糖の種類が甘さの質に影響します。
そして最も重要なのが、食感が味覚に与える影響です。
シルクスイートの極めてなめらかな舌触りが、実際の糖度以上に甘さを強く感じさせている可能性があります。
シルクスイートの魅力は、単なる糖度の高さではなく、その独特の食感と糖質が織りなすシナジー効果によって生まれる「上品な甘さ」にあるのです。
【特徴3】熟成による甘さ
現代のさつまいもを語る上で欠かせないのが、「熟成」のプロセスです。
シルクスイートも例外ではなく、収穫直後はやや粉質で「ホクホク」とした食感をしていますが、適切な環境で貯蔵・熟成させる(寝かせる)ことで、酵素(アミラーゼ)の働きによりデンプンが糖に分解され、本来の持ち味である粘質で甘い「しっとり」とした食感へと変化します。
このため、収穫期である9月下旬から10月頃ではなく、熟成が進んだ11月から2月頃が最も美味しい「旬」とされています。
この熟成プロセスを理解することは、シルクスイートの真価を味わうための鍵となります。
(※熟成に関しては『さつまいもの甘さの秘密|「熟成」「糊化」「糖化」とは』のページで詳しくご説明していますので、ご参照ください。)
シルクスイート開発物語
シルクスイートの魅力は、その味わいだけでなく、誕生の背景にある物語にもあります。
それは、国の研究機関ではなく、一つの民間企業の情熱から始まりました。
「カネコ種苗」が開発した品種
シルクスイートを生み出したのは、群馬県に本社を置く民間企業「カネコ種苗株式会社」です。
これは、国の研究機関が開発することが多いさつまいもの世界では、少し珍しいケースです。
「紅はるか」のように、農研機構(NARO)などの公的機関で開発される品種は、収量安定性、病害虫抵抗性、地域適応性といった幅広い目標を追求する傾向にあります。
一方、民間企業は市場のニーズに直接応え、商業的に成功する独自性のある製品を開発することに重点を置きます。
このことから、シルクスイートの開発は、既存の「甘いさつまいも」市場の中に存在する、「食感」という新たな視点を加えて開発された点が特徴だと言えると思います。
「育種というのは経営者とブリーダーの我慢比べのようなもので、いつ結果が出るかもわからない」と表現されています。(農業協同組合新聞:「地下足袋と長靴を持って産地とともに 金子昌彦 カネコ種苗社長に聞く【小高根利明の語ろう日本農業の未来――アグリビジネスの現場から】」)
シルクスイートの開発は時間と情熱を要する挑戦だったのだと思います。
「春こがね」と「紅まさり」の交配
シルクスイートは、「春こがね」を母親、「紅まさり」を父親として交配させることで誕生しました。
両親から、それぞれ最高の遺伝子を受け継いでいます。
- 母:「春こがね」 この品種は、優れた食味と多収性という、さつまいもの基本性能の高さを提供する役割を担いました。現代の多くの優良品種の交配親としてその名が見られることからも、その遺伝的ポテンシャルの高さがうかがえます。
- 父:「紅まさり」 この品種は、良好な形状、高い糖度に加え、決定的な特徴である「ややしっとりした食感」をもたらしました。
この交配から読み取れるのは、カネコ種苗の育種家たちが、単に甘いだけのさつまいもではなく、食感に革命を起こすことを目指していたという事実です。
「紅まさり」が持つ「ややしっとり」という特性は、育種家にとって、それを極限まで高めることで全く新しい食感を生み出せるという「可能性の原石」に見えたのかもしれません。
安定した食味と収量を持つ「春こがね」を土台に、「紅まさり」の持つ食感のポテンシャルを最大限に引き出す。
この計算された遺伝子の組み合わせこそが、偶然の産物ではない、狙い通りの「絹の舌触り」を実現させた設計図だったのだと思います。
そして、もう一つ興味深い事実が隠されています。
シルクスイートの母親である「春こがね」は、実はライバル品種である「紅はるか」の親でもあるのです。
つまり、シルクスイートと紅はるかは、母親を同じくする「異父兄弟」のような関係。
この遺伝的なつながりが、両者の似て非なる魅力の根源となっているのです。
2018年に正式に品種登録
シルクスイートの開発から市場投入までの道のりは、現代の品種開発の典型的なプロセスを示しています。
まず、「HE306」という系統名で育成され、2013年に種苗法に基づく品種登録出願が行われました 。
一方で、それに先立つ2011年には「シルクスイート」という名称がカネコ種苗によって商標登録され、2012年には種苗の販売が開始されました。
最終的な品種登録が完了したのは2018年でした 。
この時系列は、企業が製品の成功を確信し、正式な品種登録の完了を待たずに商業展開を開始するという、現代的なマーケティング戦略を反映しています。
「HE306」という無機質な系統名とは別に、消費者の感性に直接訴えかける「シルクスイート」という商標名を先行させたことも、そのブランド構築への強い意志の表れだと思います。
「シルクスイート」「紅はるか」「安納芋」の比較
シルクスイートの個性をより深く理解するために、他の二大人気品種「紅はるか」「安納芋」と比較してみましょう。
【比較1】「シルクスイート」と「紅はるか」
シルクスイートと紅はるかは、現代の「しっとり系」さつまいも市場を牽引するライバルですが、その背景と特性には明確な違いがあります。
- 開発主体と出自:シルクスイートが民間企業(カネコ種苗)主導で市場の特定ニーズを狙って開発されたのに対し、紅はるかは国の研究機関(農研機構)が育成した、食味、収量、耐病性など総合力に優れた優等生です。この出自の違いが、それぞれの品種の個性を方向づけています。
- 食感:シルクスイートが「なめらか」で繊維感が少なく、スプーンですくえるほどスムーズであるのに対し 、紅はるかはより粘り気が強くクリーミーな「ねっとり・しっとり」系の食感が特徴です 。
- 甘さ:シルクスイートの甘さが「上品」でバランスが取れていると評されるのに対し、紅はるかは「はるかに優れる」という名が示す通り、蜂蜜に例えられるほどの圧倒的な甘さを誇ります 。加熱後の糖度は50度から60度を超えることもあると言われています 。
先ほどご説明したように二つの品種は「春こがね」という共通の親を持つ「異母兄弟」のような関係であるという点です。
優れた食味という共通の遺伝子を受け継ぎながら、もう一方の親が異なることで、それぞれの道が分かれました。
シルクスイートが食感のポテンシャルを持つ「紅まさり」と交配され「食感のスペシャリスト」となったのに対し、紅はるかは外観に優れた「九州121号」と交配され「甘さと総合力のチャンピオン」となったのです。
「シルクスイート」と「紅はるか」は単なる競合ではなく、同じ祖先から生まれ、異なる個性を追求した結果なのです。
※紅はるかに関しましては『「紅はるか」の魅力を徹底解剖!』のページで詳しくご説明していますので、ご参照ください。
【比較2】「シルクスイート」と「安納芋」
シルクスイートが2012年デビューの現代的な育成品種であるのに対し、安納芋は鹿児島県種子島に古くから伝わる在来種を起源とし、第二次世界大戦後に持ち帰られた苗から始まったとされる伝統のブランドです。
これは、最先端の育種技術による「革新」と、地域の歴史の中で磨かれた「伝統」の対比と言えます。
- 食感:シルクスイートの「なめらか」さに対し、安納芋は「蜜芋」の代名詞であり、加熱すると蜜があふれ出すほど水分量が多く、とろけるような「ねっとり」感が最大の特徴です。
- 甘さ:シルクスイートの「上品」な甘さに対し、安納芋は焼き芋にすると糖度が40度前後にもなり、濃厚でコクのあるデザートのような甘さが楽しめます。
- 外観:シルクスイートが比較的整った紡錘形であるのに対し、安納芋は「コロンと丸い形」が特徴的です。また、安納芋には皮が赤い「安納紅」と、白っぽい「安納こがね」の2種類が存在します。
シルクスイートが民間企業の最新の育種技術によって、どこでも栽培できるよう設計された「工業製品」としての完成度を持つ一方、安納芋は種子島という特定の土地の気候や土壌、そして長い歴史が生み出した「伝統工芸品」のような存在と言えると思います。
ブランド戦略も、企業が商標を管理するシルクスイートに対し、安納芋は地域のブランド推進本部がその価値を守っています。
※安納芋に関しましては『「安納芋」の魅力を徹底解剖!』のページで詳しくご説明していますので、ご参照ください。
「シルクスイート」「紅はるか」「安納芋」の比較表
特徴 | シルクスイート | 紅はるか | 安納芋 |
主な食感 | 卓越したなめらかさ、絹のよう (なめらか) | 非常にしっとり、粘質、クリーミー (ねっとり・しっとり) | 極めて粘質、とろけるよう (ねっとり) |
甘さの質 | 上品、洗練されている、バランスが良い | 強烈、蜂蜜のよう、非常に強い | 濃厚、深いコク、デザートのよう |
外観(皮の色) | 濃い赤紫色 | 鮮やかな赤紫色 | 褐紅色または淡黄褐色 |
外観(果肉の色) | クリーム色 | 黄白色 | 濃いオレンジ色 |
代表的な糖度 (Brix値) | 生:約8~9度、加熱後:約40度 | 生:約30度以上、加熱後:50~60度以上 | 生:約16度、加熱後:約40度 |
起源・開発元 | カネコ種苗 (民間企業) | 農研機構 (国の研究機関) | 種子島の在来種 (鹿児島県) |
登場・登録年 | 2012年頃 (販売開始) | 2010年 (品種登録) | 1998年 (品種登録) |
交配親 | 「春こがね」 × 「紅まさり」 | 「九州121号」 × 「春こがね」 | 在来種からの選抜 |
キーワード | 「絹」 | 「はるかに優れる」 | 「蜜芋」 |
まとめ
いかがでしたでしょうか。
本記事でごっ説明したように、シルクスイートは単なる「しっとり甘いさつまいも」の一つではありません。
それは、民間企業の明確なビジョンに基づき、他に類を見ない「絹のようななめらかな食感」を追求して生み出された品種です。
シルクスイートの魅力は3つの柱で支えられていることがわかります。
- 忘れられない食感:その名の通り、他にはない絹のような「なめらかさ」。
- 洗練された風味:「熟成」と「加熱」という二段階の変身を経て生まれる、上品で奥深い甘さ。
- 革新的な出自:消費者の求める味を形にする、現代の農業技術と企業のビジョンが生んだ物語。
次にあなたがシルクスイートを手に取るとき、その絹の口どけの向こうに広がる、豊かで、複雑で、そして魅力的な物語にも、ぜひ思いを馳せてみてください。